世界の12の先住民族の物語を紡いでいく旅。ドキュメンタリー映画「響き 〜RHYTHM of DNA〜」
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12の先住民族
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マヤ
UNKNOWN
UNKNOWN
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UNKNOWN
1-7 TRIBES
Sami 〜サーミ
撮影手記
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「HIBIKI 第10章 〜サーミ〜」取材クルーの移動。2017年12月26日〜2018年2月10日。※主なロケ地
(*すべて現地時間。時差:ヘルシンキ -6時間)
2017.12.26   成田発、日本出国。
2017.12.27   フィンランド・ヘルシンキ到着。
2017.12.28   Pekkaさんとミーティング。
2017.12.29 環境ジャーナリストのKirsikka Moringさんとミーティング。
Pekkaさんのホームパーティーに参加。
2017.12.30 ヘルシンキからOuluまで移動し、一泊。
2017.12.31 Ouluを出発、ラップランドの首都Rovaniemiまで移動し、新年を迎える。
2018.1.1 Rovaniemiを出発、イナリ湖に移動。
2018.1.2 イナリ湖の近隣、Kaamasmukkaに向かい、Pekkaさんがご紹介のサーミの長老Einoさんに会う。
2018.1.3 Kaamasmukkaからさらに北上し、ラップランドの最北端のNUORGAMまで移動。
サーミの若きリーダー、Aslat Holmbergさんにインタビュー。
それから、UTSJOKIまで移動。
2018.1.4 UTSJOKI。サーミの長老、Samuli Aikioさんにインタビュー。
2018.1.6 UTSJOKI。サーミのヨイクの第一人者、Ulla Pirttijarviさんと、彼女の娘のHilda Lansmanさんを取材。
それから、Kaamasmukkaに戻る。
2018.1.8 サーリセルカにて、トナカイ飼いのHannaさんを取材。
2018.1.9 サーリセルカにて、カーモス(極夜)明けの今年初の太陽を撮影。
2018.1.11 サーリセルカからノルウェーとフィンランドの国境の町、キルピスヤルヴィまで移動。サーミの聖なる山、サーナ山がここにある。
2018.1.12 フィンランド・キルピスヤルヴィからノルウェー・トロムソに移動
2018.1.13 トロムソ。
2018.1.14 〜 2018.1.15 キルピスヤルヴィ。オーロラ撮影。
2018.1.16 〜 2018.1.19 イヴァロ、サーリセルカに滞在。
トナカイの獣医マリアの密着取材。
2018.1.20 〜 2018.1.24 今旅メインの取材地、イナリ入り。アプローチを行う。
2018.1.25 〜 2018.1.28 イナリ、先住民族フィルムフェスティバル密着取材。
2018.1.30   イナリから約2時間半、南下し、Vuotso町に移動。
サーミの学校で、ストーリーテイラーのペトラと子どもたちを撮影
2018.1.31   再び、イナリ。
2018.2.2   Kaamasmukka。
2018.2.3   ノルウェー・カラショクに移動。
2018.2.4 カラショクにて、サーミのトナカイ飼いの取材。
2018.2.5 再び、イナリ。
2018.2.6 響き第10章サーミ編フィナーレ、「サーミの日」、取材。
2018.2.7 早朝にロバニエミに移動。
夜行列車「サンタクロース」に、レンタカーを乗せてヘルシンキへ。
2018.2.8 ヘルシンキでお世話になった、Kirsikka Moringさんと、Pekkaさんにお会いし挨拶。
2018.2.9 フィンランド出国。
2018.2.10   イスタンブール経由で成田着。帰国。
愚か者の旅
北極に登る満月

響きの旅が矛盾しはじめた。

ともすれば、それは、自らが存在意義を否定するようなもの。

響きは先住民族に先祖代々から伝わる叡智を紡ぐ旅。

今の世界の歪みは、先祖が子孫繁栄の為に残した知恵を多く失ったからではないかと、それを取り戻す試みが響きである。

しかし、第1章アボリジナルから始まった旅は、次のチベットで第11章。

長く旅を続けているうちに、最初はネイティヴの叡智を求める者であったが、次第に、自分自身がネイティヴの体験者そのものになってゆく。

そして、今では、彼らが見つめる先に、自身の視線を重ね合わせるまでに至った。

その先に待っていたものは、、、

「矛盾」

響きが求める行為自体が、そもそも、ネイティヴの世界観からズレている。

ネイティヴとは、解釈するのではなく、存在そのままを見つめる世界。

求める側の知識(エゴと言ってもいい)を満たすものではなく、人間も自然の一部として、体験し、機能する世界。

例えば、響きのインタビューでは、「ネイティヴらしい格好いい」言葉、みんなを「魅了する」言葉を、長老から必死に聞き出そうとする。

しかしながら、存在そのものの彼らは、起きる現象に意味づけせず、ただあるがままの世界を僕に伝える。

でも、それだと、禅問答。

「柳は緑、花は紅」

この言葉が意味するものを、人々は求める。

しかし、ネイティヴは、それを解釈しないで、大自然の意志として、ありのままに受け入れる。

柳は緑でいいし、花は紅でいいのだ。

しかし、叡智を求める者は、それだと物足りず、さらに必死になる。

まるで滑稽だ。

そして、青い鳥の物語のように、叡智とは、難しいことではなく、その土地に根ざした幸せのカタチであることに辿り着く。

ゆえ、響きは旅を始めた時から、すでに矛盾していたのだ。

しかし、旅を続けるうちに、それに気付いて、僕は内心ほっとしている。

ともすれば、人は自身の行いに意味づけし、まるで、それがこの世界に必要であると言わんばかり。

さらにそれを描く為に、どんどんドラマチックになってゆく。それは、知らず知らず忍び寄って来るエゴであり、闇である。そして、真実の世界を蝕む。

響きも、その道を辿ろうとしていた。

しかし、響きの旅も残り二つになったところで、真に目覚めた。

これこそ奇跡であり、神様の贈りもの。

ならば、響きが続ける意味はあるだろうか?

そこに存在意義はあるだろうか?

答えは、「ある」

この矛盾こそが、響きが世界へ発するメッセージである。

矛盾を認識しながらも、それでも、ネイティヴの叡智がこれからの世界の為に必要であるんだと、それに命をかけて旅を続けるのだ。

風車を怪獣に見立てて、槍を持って突進する、ドンキホーテ、そのものである。

響きは、愚か者の旅。

しかし、その愚者が晒す恥が、叡智となる。

ノンジャッジメント

この世界には少数ながらも、多様な先住民族が各大陸に、島々に、今も先祖からの言い伝えを大切に生きている。

彼らはそれぞれ独自の文化を継承しながらも、どの民族にも共通している価値観がある。

それが、「ノンジャッジメント」

これは、単に他をジャッジしないという表層的なものではなく、幾層にも重なった深い世界観である。

ネイティヴは言う、サムシング・グレイト(大いなる存在)から命を分け与えられたすべての存在は、それぞれの「役割」があると。

そして、どれも尊い。

また、この世界の相反する者同士は、争う為にあるのではなく、互いが学び合う為にある。

善と悪は、「役割」であって、良いも悪いもない。

男と女も、「役割」であって、それに優位なものなど存在しない。

「善」が「悪」を信頼し、「悪」も「善」を信頼する。

それは、自身の中の善と悪でもあり、社会全体のものでもある。

「許す」では、まだジャッジメントの世界。

しかし、それを遙かに超えた普遍的な真理は、存在同士の「信頼」にあるのだ。

「ノンジャッジメント」とは、互いが「信頼し合う」、その叡智である。

今回の旅、響き第10章サーミ編では、度々「信頼」について問われた。

以下、ディレクターズ・ノートから。

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【ディレクターズ・ノート:パズル】

現地時間 2018 1.5 17:00

パズルのワンピース、ワンピースは、自分がどの役割を担っているのか、まだ「今」は、見当もつかない。

しかし、一旦、ハマり始めると、そのイマジネーションは無限に広がり、「全体」の姿を捉えてゆく。

その瞬間を、人は「奇跡」とも呼ぶ。

響きに起きる奇跡は、まさにこの現象である。

響きの旅の始めの頃は、隣同志のパズルのワンピースが出会うだけで、大騒ぎ。

僕はそれを「奇跡」と呼んだ。

しかし、旅を重ねるに連れて、どの「ワンピース」と出会うかが、必然であることを知った。

最初に「全体」有りき。

僕は、今、ワンピースでありながら、パズルの出来上がる世界が見える。よく見える。遠くが見える。

いや、それは、「見える」というより、「信頼」と言ったほうがいいだろう。

神々への信頼。そして、自身への信頼。

響きは、完全なる自由を得た。その信頼を得たのである。

響き第10章サーミの旅が、これまでと全く違う次元のものになると予感したのは、これのことである。

ひとつひとつのワンピースが、遠くを見つめ、パズルの完成を無限にイメージ出来る。

ここにいると、起きて来る出来事に、その瞬間に、存在意義を知ることになる。

完璧なこの世界。

それを知る。

これまでは、ハマらないと、自身が何者かを知るよしもなかったワンピースが、「全体」を捉えることが出来、「その瞬間」 に「己」に目覚める。

その世界は、至って「静寂」

とても静かである。

Kirsikka Moringさんから教えて頂いた、サーミの長老、Samuli Aikioさん。

昨日、長老が住んでいる家を、泊まっているホテルのスタッフに教わり、飛び込んだ。

サーミの長老、Samuli Aikioさんと一緒にそこに、長老はいた。

タイミングは、答え。

サーミの長老、Samuli Aikioさんのロングインタビューは、次の世代につないでゆく、人類にとっても、宝のようなメッセージとなった。

撮影終了後、長老がふと言う。

「僕は年老いて、もう歌えないが、サーミのヨイクの第一人者の、Ullaを知っている。彼女は素晴らしいよ」

僕はこの言葉が、響きパズルのワンピースであることを、今は瞬時に理解出来る。

Ullaは、フィンランドのトップアーチスト。

僕のようなインディペンデントがアプローチ出来るかどうかは分からない。

しかし、僕には迷いはなかった。

アイスバンを走り回り、彼女の家を、何とか探し当て、飛び込んだ。

Ullaは、いた。

タイミングは答え。響きのワンピースが揃った。

彼女に響きの思いをただただお伝えした。

拙い英語も、心あれば。

「オッケー。あなたのこととても理解出来た。協力させて頂きます」

と、Ulla。

明日、お昼の1時から、Ullaのヨイクの収録を行う。

また、響き先住民族音楽フェスティバルへの参加もお約束頂いた。

奇跡と呼んでもいい。

しかし、僕には、もう「奇跡」ではなく、ただただ、響きパズルのワンピースとワンピースが揃ってゆく、そのような静けさである。

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【ディレクターズ・ノート:信頼への道のり】

現地時間 2018 1.15 13:30

激しく打ちつける雪吹雪に、ノルウェーとフィンランドの国境界の村、キルピスヤルヴィに閉じ込められた。

昨晩の快晴がまるで嘘のよう。

素晴らしいオーロラが撮れた。

サーミの聖山サーナに昇るオーロラサーミの聖山サーナに昇るオーロラ。

それは空からやって来たというより、地面から湧き上がったのではないだろうか。

そして、地平線までいっぱいに敷き詰まった星と星。

冬のオリオンが、プレアデスの姫々を追いかけて登ってゆく。

過去に響きの旅で、それこそ満点の星空を幾度も見て来たが、ここ北極圏の冬のそれはまた別格。

こんなにもプレアデス星団がはっきり見えたのは初めてのような気がする。

清少納言が、枕草子で、「星はすばる」と歌うが、その美しさが今、僕の目の前にある。

トロムソ大学のサーミ研究者のアイヌの方への取材は実らず。

昨晩、オーロラの撮影の帰りにメールが届いていた。

やはり大学のことがお忙しいようで、時間を捻出出来ないとのことであるが、でも、それは僕の力不足。

彼女は、NHKはじめ、各メディアに露出なさっていて、取材のこともよく熟知しておられた。

僕のように無名でインディペンデントの行き当たりばったりの取材では、彼女が納得いくものを出せない。

そもそも、響きのスタイルは、アジェンダ・レス。

多分、世界観が違ったのだと思う。

でも、研究のお忙しい中、ミーティングに応じて下さって、有り難い。

この場をお借りして、深く感謝申し上げます。

さて、響き第10章サーミ編、中盤に差し掛かって、何も無くなった。

短い取材期間。流れが途切れるのが一番の恐れである。

そして、神さまが僕に問う。

「お前はそれでも、響きを信じ切れるか。100%、信頼出来るか」

これまでの旅でも、流れが途切れることはしばしばあった。

その時はどうやって、それ乗り越えたか、思い出そうとしても浮かんで来ない。

少しでも思い出すことが出来れば、きっと今回もうまく行くだろうに、、、

しかし、これまでの僕とは違った。

それまでは、騒つく心を鎮めるに必死であったが、今回は全く動揺がない。

そして、静かにお祈りした。

「はい、僕は、もう疑いません。100%、響きを、自身のミッションを信頼します」

神様はその祈りを聞いていたのだろうか、、、

これまで幾度もなく、アプローチしていた、サーミのトナカイの獣医さん。

どんなに頑張っても返信すら下さらなかった。

しかし、祈りのあとの約2分後、彼女と連絡が取れて、会って下さることになったのだ!

響きミラクル始動、、、と、これまでは表現していたが、僕と神々との信頼のコミュケーションに過ぎない。

神様は僕を試したのだ。

神のなさることは、全く予測出来ない。

僕たちは、仏様の手のひらの上。

それを「信頼」しているかどうかのお試しだったのだろう。

ということで、明日、この猛吹雪が止んだら、イナリに帰る。

そして、トナカイの獣医であるサーミの彼女に密着を試みる。

ベストを尽くせば、それが祈りとなろう。

今旅のクライマックスは、1月25日からサーミのお祭りが続くので、かなり賑やかになると思う。

よし。明日は、また8時間のアイスバーンを、吹雪の中、車を走らせる。

皆さま、お祈り下さい。

カーモス(極夜)
極夜(カーモス)明けの太陽

【ディレクターズ・ノート:太陽のない世界】

現地時間 2018 1.2 15:30

朝の9時を過ぎても真っ暗。

10時頃になったら、ほんの少しだけ白むが、正午過ぎにはもう暗闇の世界へ。

最初はあまり気にならなかったが、身体がリズムをうまく掴めないようだ。

いつが一日の始まりか、よく分からない。

ずっと目覚めない。そんな感覚。

また、暗闇を長距離、運転し続けたせいか、極度に目が疲れている。

暗闇のアイスバンを運転。

いや、運転というより、どううまく滑るかが大事。まるでスケート靴を履いてる感覚。

しかも、時速100キロで、地元のみんなは飛ばすので、その流れに必死だったが、生きた心地がしなかった。

ともあれ、ようやく、今旅のメインの撮影地、イナリに、昨晩、無事に到着。

そして、一泊し、さらに車を走らせること、一時間。

完全にホワイトアウトした深い雪の世界、「Kaamasmukka」に辿り着いた。

Pekkaさん始め、地元の人にも、念には念を入れられ、とにかく、気をつけなさいと言われた道のりを走り抜いた。

そもそも、冬季にヘルシンキからイナリまで、車を走らせる人は滅多にいないようだ。

撮影終了後の帰りは、ロヴァニエミからヘルシンキまで、列車に車が積める寝台があるようなので、タイミングが合えば利用したい。

とにかく、無事にここまで辿り着けたのは、祈りを届けて下さった皆さまのおかげです。

深く感謝申し上げます。

さて、これから、Pekkaさん、ご紹介のEinoさんとミーティング。

僕の英語もきわどいレベルだが、それでも少し通じるだけマシ。

Einoさん、フィンランド語とサーミ語しか、話すことが出来なく、英語を話せる息子さんが今こちらに駆けつけてくださっているので、彼を待っているところ。

ミーティングが始まったら、響きの世界観を一生懸命にお伝えしよう。

サーミの神さま、ご先祖さま、あなたさまの子孫を遣わし、響きにサーミの叡智を紡がせてください。

神々の導きあれ。

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【ディレクターズ・ノート:太陽の帰還】

現地時間 2018 1.10 21:30

北極圏に太陽が戻った。

極夜(カーモス)が明けたのである。

しかし、まだほんの少し。

2018年1月9日サーリセルカ:日の出 11:35 日の入 12:59

山のてっぺんだけが黄金色に染まる太陽が昇っている時間は、わずか1時間24分。

しかも、太陽の「頭」しか昇らずで、全身を拝むにはまだまだ時間がかかるようだ。

映像に収めたが、これくらいが、極夜明けの限度のよう。

それでも、人々は喜びに沸く。

「ねぇ、今年最初の太陽を見たわよ」

と、村を歩くあっちこっちから聞こえて来る。

お祝いだ。

日本にいる時、サーミのリサーチをしていて、「太陽を祝う」って、どういう事? と思ったが、ここにいて、その感覚がよく分かる。

僕たち人類が、「太陽を祝う」、のだ。

素晴らしい日の出が撮れた。

一生涯、太陽の頭だけ、拝むのは初めて。

それでも、胸の底から、ぐんと込み上げて来るものがあった。

それは、「お天道様」

有難い、、、ただただ有難い。

太陽は命の根源である。

それに説明も解釈も要らない。

こんなに有難い太陽は、初めて。

すべての真理は、「有難い」に行き着くのではないだろうか。

難しい真理が多すぎるこの時代。

極夜明けの太陽が教えてくれるもの、、、

それは、「生きる喜び」、「生き抜く喜び」

僕たちは、もっと、生きることに喜び合っていいのだ。

難しい答えを求める前に、今に生きる喜びに目を向けよう。

難しい真理は、己のエゴを満たすものに過ぎない。

エゴを手放した先は、ただただ、有難い世界。

それを知る、感じる、そう生きることが、「目覚め」ではないだろうか。

もう求めるな。自身のエゴを満たそうとする世界から自由になって、真に生きよう。

極夜明けの太陽が言っている。

ヨイク
ヨイクを唄う、Ullaとその娘のHilda

ヨイクとは、シャーマニズムと関連して誕生した音楽で、自然界とコミュニケーションを取るための方法としてとらえられる。

基本的に無伴奏の即興歌である。

サーミは森羅万象に宿る様々な精霊を対象とした「精霊信仰」である。

精霊たち、また、父であり母である太陽や土地と交信し、森羅万象の変化の原因を突き止めるために存在していたのが、ノアイデと呼ばれるシャーマンであった。

ノアイデが、激しいトランス状態の中、精霊との交信を行うのだが、さらにその状態を深めるため大声で歌われていたものが「ヨイク」である。

今旅で、奇跡的に出会ったフィンランドのトップアーチストの、Ullaとその娘のHildaのヨイクを取材出来た。

以下、ディレクターズ・ノートから。

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【ディレクターズ・ノート:Joik(ヨイク)】

現地時間 2018 1.6 22:50

響き第10章サーミ編、いきなりクライマックス!

フィンランドのトップアーチスト、Ulla Pirttijarvi さんと、彼女の娘の、Hilda Lansman さんによるヨイク。

Hilda さんもプロのミュージシャンで、ヨイクネーム「Anne Ovlla Iuohti」で活躍中。

UllaとHildaと一緒にお二人のヨイク、、、

美し過ぎる。

奏でるハーモニーは、天使の歌声。

トナカイの物語を歌って頂いた。

そして、極夜の白銀と二人の天使とのコントラストが、なんて優しいんだろうか。

ダークネスは、優しさの根源だと思う。

薄暗闇の中で響くヨイクは、素晴らしく透明だった。

あたりを覆う深い雪が、真実の響き以外はすべて掻き消す。

そして、残ったそれは、大自然への「信頼」

そう、今日のヨイクの響きを、言葉で表現するならば、それは「信頼」

信頼とは、相手を信じ切ること。

それは、「期待」とは丸っ切り違う。

信頼は、「見返り」を求めない。

ゆえ、裏切りも存在しない。怒りも、後悔も存在しない。

HildaとUllaのインタビュー信頼とは、ただただ、100%、相手を「受け入れる」行為。

自分の何かを押し付けるものではない。

どのような結果になろうとも、それにも依存しない。

100%の愛を、「信頼」と言うのだろう。

自分の「信頼」に、少しでも見返りを望むものならば、それは忽ち「期待」に落ちる。

「期待」には、「エゴ」が見え隠れしているのだ。

「そうあってほしい」という「エゴ」である

「信頼」とは、自分の「期待通り」にならない、そんな世界とは全く次元が違う。

今日のお二人のヨイクは、まさに、大自然への完全なる「信頼」

人と大自然と先祖と神々をつなぐもの。

過去と未来を、今に集結させるもの。

それが「ヨイク」であると、僕は思った。

お二人のインタビューでは、ヨイクを語って頂いたのだが、母と娘が見つめ合うその時々の眼差しには、まいった。

なんて美しいんだろうか、、、

世代から世代へつながってゆく伝統とは、愛の本質そのものであろう。

トナカイとサーミ

サーミは、スカンジナビア半島北部、及びロシア北部コラ半島に至る、ラップランドと呼ばれる地域(ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧三国とロシアの四ケ国)に居住する、トナカイ遊牧民として知られる先住民族。

サーミに先祖代々から伝わる叡智は、冬が一年の半分以上を占める、雪と氷に深く閉ざされた厳しい世界で生き抜くためのもの。

命の存在をまるで拒否するかのようなこの北極の地になぜ人が住んでいる?

この質問は、サーミにとって愚問である。

彼らは、先祖代々からこの地に住んでいることに、一切の疑問を持たないのだ。

サーミは、ここにいるべくして、いるに過ぎない。

そして、このような過酷な大自然の中で、サーミと共にいるのが、トナカイである。

サーミを語るにトナカイは欠かせない。

以下、ディレクターズ・ノートから。

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【ディレクターズ・ノート:サーミとトナカイ】

現地時間 2018 1.8 22:30

ヨイクの帰り、Einoさんの家で朝目覚め、雪掻きのお手伝い。

しかし、僕が知っているレベルの雪掻きとは桁違い。

重機を総動員して、地平線の向こうまであるんではないかと思うくらいの広いエリアを作業する。

朝まで降り続けた雪は、家の一歩外に出ただけで、腰の高さまで来る。

雪掻きというより、新しい「道作り」のような感覚。

響きの旅は、毎回ホームステイになる。これも不思議。

そして、いつもその御礼に、何かお手伝いさせて頂く。

僕のラッキーアイテムの軍手は、流石に今回の寒さには叶わなかったが、カバンの中に持ち歩いている。

この日の朝の気温は、マイナス22度。

寒いのか、痛いのかよく分からない。

でも、一生懸命にお手伝いさせて頂いた。

それから、Einoさんの息子、Anttiさんがやって来て、ミーティング。

Anttiさんの妹、Hannaさんが、イヴァロのもう少し先の、サーリセルカに住んでいて、トナカイの牧場をやっていると言うので、ご紹介頂き、すぐに出発。

車で、約3時間のスリリングな道のりを滑りながら、夕方になってようやく到着。

ソリを引くトナカイ掘っ立て小屋に一泊し、今朝の9時に、待ち合わせ場所に行って、いきなりトナカイのソリのシーンを撮影。

聞くと、カーモス(極夜)明けが近く、まだ地平線の下にあるだろう太陽の真っ赤が、白銀を優しいピンク色に染めていた。

素晴らしいシーンを撮影出来た。

サーミにとって、トナカイはどのような存在か?

それは、アフリカのマサイにとっての牛とは、少し違った。

マサイにとって、牛は神さまからの贈りものであると長老が言った。

では、サーミにとって、トナカイは?

ソリが終わって一息のHannaさんに聞いてみた。

Hannaさん、トナカイにそっとキスすると、彼女、まるで愛しい人を見つめるように、優しい笑顔を浮かべて、トナカイにそっとキス。

響きのキャメラがその瞬間を捉えた。

「トナカイは、とても大切な存在。サーミの、お爺ちゃん、お婆ちゃん、先祖代々からずっとそう伝わって来てるのよ。私が小さい頃からずっと一緒。家族なの」

と、質問に答えるHannaさん、とても幸せそう。

僕は、その姿を見て、これ以上の質問を止めた。

僕が「納得する答え」は、もう何の意味もない。

求める者は、求める答え有りきで、聞く。

つまり、その先を自分のイマジネーションの中に「閉じ込める」

ゆえ、どんな答えが返って来ようとも、自身の「解釈」の中に過ぎない。

僕は、ビジュアル(映像)が持つ真の力を信じて疑わない。

Hannaさんが見せる微笑みに、僕はすべてを委ねた。

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【ディレクターズ・ノート:響きの舵取り】

現地時間 2018 1.18 07:30

獣医マリアが僕の目の奥をじっと見つめて来る。

獣医マリア長老の目だ。

僕にとっては幾度も経験した目。

相手の魂を見ているのだ。

ほとんど英語になってない僕の発する言葉の真意を見極めるべく。

僕は必死だ。知っている限られた単語をつないで一生懸命に伝えようとする。

いつも思う、通訳がいてくれたらなぁと。

でも、言葉が出来ないからと言って、諦める訳にはいかない。

恥を晒して済むならば、いくらでもそうするし、そうして来た。

とにかく、命掛けで必死なのだ。

目の前にやって来たチャンスは、一度切り。あっという間に過ぎ去ってゆく。

その時にそれに勘づく野生の鼻が必要。

今出来ることのベストを、必死でやる。

それで出来なかったら、神様の答え。そっちじゃないよ、ということだ。

これが、たったひとつの、響きの舵取りなのである。

実にシンプル。

昔、響きのはじめの頃、僕が言っていることは狂ってるし、絶対に成し得ないだろうと言ったある人が、

「まず、少なくとも英語をマスターしてから海外に飛び出したらどうですか? お金も何もない上に、言葉も話せないようでは、ただの夢物語。仮に行けたとしても、どうやってコミュケーションを取るんですか?」

と、僕に言い聞かせた。

全くの正論である。僕は言い返すことも出来ず、その場を後にした。

しかし、昨晩の獣医マリアが僕をまじまじと見つめ、言葉になってない言葉を真剣に聞き、そして、優しい微笑みを浮かべて、即答。

「いいわよ。金曜日の朝にやりましょう」

マリアがこの時に見せた目は、これまでの先住民族の長老たちが僕を見つめるのと同じだった。

確かに言葉は大切。

でも、人にはハートがある。

この世界には、たくさんの言葉や文化、肌の色がある。

でも、僕たちは言葉(思考)を超えて、違いを輝きにし、互いを理解して、愛しあうことが出来る。

響きの旅で学んだこの世界の真理。

ドキュメンタリー映画「響き 〜RHYTHM of DNA〜」のメインコンセプト、響き合う、その実体験である。

明日、獣医マリアのインタビューを撮り、そのあとトナカイの診療のシーンをタイミングが合えば、別の日に行う。

マリアは野生のトナカイの専門家で、この冬の季節は、難しいようだ。

しかし、少し考えてみると仰って下さったので、それに委ねよう。

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【ディレクターズ・ノート:響きスタイル】

現地時間 2018 1.18 22:30

響きスタイル健在。

今日の余りにも想定外過ぎる出来事には、さすがの僕も、うなだれた。

最近、出来るだけ「奇跡」という言葉を使わずして、淡々と発信して来たが、やっぱりこの言葉しか今日の出来事を表現出来ないだろう。

早朝の6時過ぎ、獣医マリアから連絡が入る。

「今日、急病のトナカイがいて診察に行くことになったけれど、あなたも来るかい?」

「え!?」

前日のミーティングで、冬の間はまず、それはないと、マリアから言われたばかり。

半信半疑で、マリアのクリニックに駆けつけると、

「あなたはとてもラッキーね。昨日、お話しした通りだけれど、この季節、とても珍しいわ。急にトナカイの診察が入ったの。偶々。不思議ね」

「・・・・・」

出た、響きスタイルの奇跡。

昨日の今日。まさか、、、。

僕は明日の金曜日のインタビューが出来るだけでも、大満足だったのだ。

マリアの車に乗せてもらって、マイナス25度の中で、トナカイの診察。

獣医マリアのトナカイの診察すごいシーンが撮れた。

昨年夏、アフリカ・ケニアでの、かんべ先生のマサイの牛の診察とオーバーラップして来る。

かんべ先生と、マリア、ほとんど同じ動き。

そして、動物を見つめるまなざしもだ。愛に溢れている。

ふぅ、、、響きは完全に僕の範疇を超えている。

毎回の旅に起きるけれど、僕がどんなに遠くを見たって、神様はそれをいつの時も遥かに超えて来る。

諦めてはいるけれど、でも、やっぱり想定外過ぎる。

マリアのトナカイを見つめる目は、遠い子孫に向かっていた。

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【ディレクターズ・ノート:カリーナとトナカイ飼いユンの夢】

現地時間 2018 2.6 01:00

ノルウェー・カラショク。

イナリのサーミ・フィルムフェスティバルのミッドナイトパーティで出会った、カリーナが導いてくれた。

フィンランドのサーミと言えば、イナリ。

そして、ノルウェーは、カラショクである。

この地には、サーミの議会があって、彼らの文化・政治の中心拠点でもある。

一度、ノルウェー・トロムソでアプローチしてみたが、その時はうまく行かず。しかし、やっぱりご縁があるのだろう、カラショクのサーミを取材出来た。

サーミの民族衣装を纏うカリーナと一緒にカリーナのお家で、二泊、ホームステイした。

彼女は数々の困難な時を乗り越えて、今に至る。

プライベートな事柄なので、ここでは書けないが、カリーナの深い優しさがどこから来るのか理解出来た。

撮影当日の昨日の朝の気温は、マイナス40度近くあった。

ちなみにこの地の最高記録は、マイナス65度らしい。気温って、どうすればそこまで下がるのだろうと思う。

すべてが凍りつく世界。

金属は素手で触ると皮膚が剥がれてしまう。

朝、カリーナの家の近くのガソリンスタンドで待ち合わせ。

カラショクのトナカイ飼いユン(John Samuel Utsi)が、スノーモービルで僕と彼女を迎えに来てくれた。

今旅、さすがに何度もスノーモービルに乗っているので慣れては来たが、雪深い山の肌を走るのはスリルがある。

木と木の間を風のように駆け抜け、山の頂上にあるとても小さな小屋にたどり着いた。

煖炉に火をつけて、ユンが用意したトナカイの煮込みを食べながら、インタビュー。

ユンは英語が出来ないので、カリーナが通訳してくれた。

途中から、英語の弱い僕を助けて、彼女もユンにインタビューしてくれた。

というのも、前日の夜、カリーナと食事をしながら、ゆっくり時間をかけてコミュニケーションを取ったので、僕が何を聞きたいか、彼女はよく理解していたのだ。

カリーナと僕の、二人三脚のインタビュー、トナカイ飼いの深い世界に触れることが出来た。

最後に、あなたの将来の夢はなんですかと聞いてみた。

「先祖代々から伝わるトナカイとの生活スタイルを、遠い子孫まで繋いでゆきたい」

と、誇り高く、まっすぐに話すユン。

そして、ポケットからスマホを取り出し、画面を見せながら、

「2年前から、GPSをトナカイに付けているので、放牧も少し楽になったよ」

と、笑顔を浮かべるユン。

それから、実際にGPSを辿り、トナカイを探した。

トナカイと一緒にいる時のなんとも言えない幸せそうなユンの表情が、すべてを物語っていた。

この酷寒の地で、トナカイと共に生き抜いて来たサーミの叡智は、ユンの笑顔にある。

素晴らしい。実に素晴らしい。

叡智とは何か?

僕が先住民族に求めて来た答えが、輪郭を表して来た。

叡智とは、その土地に根ざしてある「幸せ」のカタチなのだ。

そして、今を生きる僕たちも「先祖」

僕たちが経験したものを「叡智」にし、次の子孫に伝えてゆくのだ。

時代の流れとともに繰り返される「叡智の創造」こそが、人類の普遍そのものであろう。

焚き火を前にトナカイ飼いのユンちなみに、焚き火を前にユンが横たわっている姿勢もサーミ独特のもの。

酷寒では、焚き火の熱も上に昇らないので、こうして横たわった姿勢でいるとすぐに暖かくなるという。

僕も試してみたが、その通りだった。

「でも、この姿勢、辛くないですか?」

と、聞いてみた。

「いや、僕たちは小さい頃からずっとこうしているから、平気だよ」

と、ユン。

この姿勢も叡智そのものである。

カリーナも、民族衣裳でヨイクを歌ってくれた。

「私たちの本来は自然にある存在すべてに神々を見出す民族。自然への尊敬と畏れからサーミのスピリッツは成り立っている。クリスチャンがこの地に入って来て、私たちの文化の多くが壊れてしまった。でも、まだ取り戻せる。きっと私たちは出来るわよ」

と、カリーナ。

カリーナは、サーミのシャーマンの家系に生まれている。そのDNAの意思の力を見た。

サーミの語り部
サーミの語り部、ペトラ

【ディレクターズ・ノート:サーミの語り部ペトラ】

現地時間 2018 1.31 19:30

今日のお昼頃、イヴァロからイナリに車を走らせた時だ。

突然、バックミラーから強烈な光が放たれ、目が眩んだ。

「!」

太陽だ。太陽が後ろから追って来る!

カーモス(極夜)が明けたとは言え、太陽はまだ低くしか昇らず、連なる山を越すことが出来なかった。

その為、平地では直接、太陽を見られなかったのだ。

ちなみに、先日のカーモス明けの太陽は、山の頂上で撮影したものである。

右に左にぐねぐねと曲がる急カーブ、バックミラーに映る山間から、太陽がその都度、姿を表す度に、僕は歓喜した。

こんなに太陽が嬉しいと思ったのは、初めてかもしれない。

疲労が蓄積されていて、一歩動く度に、地面に沈んで行くように身体が重い。

しかし、今日の太陽は、それを溶かしてくれるようだった。

昨日は、イナリから約2時間、サーミのストーリーテラー、ペトラが教える学校を訪れた。

「どんな流れにしますか?」

と、聞かれ、最初にサーミの子どもたちとコミュニケーションを取りたいので、折り紙からお願いした。

みんな初めての体験。真剣そのもの。

鶴を作った。

そして、広島・長崎原爆のお話しをサーミの子どもたちに伝えた。

サーミの子供たちに輪唱「カエルの歌」を教える続いて、歌と踊り。

歌は、輪唱「カエルの歌」

踊りは、「パンダ・ウサギ・コアラ」

すごく盛り上がった。

給食をみんなと一緒に頂いたあと、ペトラによるヨイクとサーミのストーリーテラーの授業を撮影。

ロングインタビューもさせて頂いた。

それから学校を後にし、ペトラとトナカイ牧場へ。

そこでは、ペトラとペトラの娘さんたちが、ヨイクを歌ってくれた。

サーミの先祖から今に。そして、未来へとつながってゆくスピリッツを見た。

すべてにおいて、実に素晴らしい内容だった。

ヨイクとは何か?

サーミにとってトナカイとは何か?

その答えを、「言葉」を超えて、「存在そのもの」で示してくれた。

響きキャメラがそれを余すことなく記録。

ともすれば、「質問」というのは、「知らない」ことを教わるものではあるが、「完全なる信頼」においては、それが存在しないことを、今旅で実体験した。

「質問」ではなく、存在そのものを「有りのまま」、丸ごと「受け入れる」

すなわち、「質問」が存在しない世界に、響きは踏み入った。それは、進化である。

そして、響きが、最初に名付けた通りになって来たのではないだろうか。

「響き 〜RHYTHM of D.N.A.〜」

なのだ。

DNAのリズムに人々が目覚め、この世界の真の姿を写し出す。

響きは、新しい映像の在り処に挑戦するものでもあり、その役割の未来を信じている。

サーミの長老
サーミの長老、エイノ

【ディレクターズ・ノート:サーミの長老、エイノ(Eino Nuorgam)】

現地時間 2018 2.2 14:00

ヘルシンキのペッカー(Pekka)さんからご紹介頂いて、北極圏に飛び込み、一番最初にお会いしたのが、サーミの長老、エイノ(Eino)。

そして、エイノの息子アンティ(Antti)が、僕をサーミのカルチャーにつないで下さった。

エイノは、全く英語が話せない。

僕も似たようなものだが、でも、言葉が通じないならではの、超越する関係性がある。

とにかく、互いに「必死」だ。

それは、まるで「思考」を停止させられたような世界に放り込まれる感覚。

一番最初にお会いした時、エイノ、何かと思えば、いきなりトナカイのシチューを食べなさいと、勧める。

エイノさんのトナカイのシチューそうか、まず、食べもの。

食べものは、すべてのボーダーラインを一気に飛び越す。

そう言えば、これまでの旅でも、まず、食べものから始まったものだ。

アイヌの長老、アシリレラさんも、まず、食べなさいと、ご飯と味噌汁を出して下さって、

「食べれば、まぁ、だいたいの悩みは消えるものよ。わっははは」

「・・・・・」

初女さんのおむすびにしろ、食べるが命。

ものすごく原始的なコミュニケーションであるが、これが命あるもののすべてではないだろうか。

サーミの長老、エイノもそんな感じだ。

エイノと僕が交わす言葉はとても少なかったけれど、あっという間に信頼し合う関係になっていった。

エイノの手はとにかく、ごつい。

その手でここ北極圏で生き抜いて来たのだろう。

ゆえ、今の子孫たちの命がある。

サーミの歩んで来た歴史も、他の先住民族同様、険しいものであった。

その困難を乗り越えて、今に生きる先住民族の長老たちに共通して言えるのは、「優しさ」

究極の辛さを自身が経験し、そして、その痛みを知っている、「優しさ」

エイノの笑顔は、そんな優しさに満ちている。

そして、そのごつい手で作る料理がなんとも繊細で美味しいのだ。

昨日は、イナリから約1時半、エイノの家を久しぶりに訪れた。

日本に帰国する前に、お会いして、御礼をお伝えしたい。

しかし、前日まで連絡が取れず、行っても会えるかどうか分からなかった。

でも、きっと、エイノはいる。

そして、車を止めた庭先から見える家の窓から、エイノが新聞に目を落としているのではないか。

僕は嬉しくて、チャイムも鳴らさずに家に入っていった。

エイノ、僕を見るや否や、鍋を指差して、トナカイのシチューを食べなさいと言う。

その心がなんとも暖かい。

息子のアンティは、ノルウェーに行っていて、会えなかったが、彼の分のウォッカをエイノに預けて、置き手紙した。

シチューを美味しく頬ばる僕を、エイノが嬉しそうにじっと見つめる。

酷寒の地で生き抜いて来たサーミの先祖たちも、こうして頂く一杯のシチューに、深く感謝していたのだろう。命の頂きそのもの。

昔々、北極のこの地で、コタ(サーミのテント)の中で、焚き火を燃やし、シチューを囲んで、先祖から子孫へとストーリーが語り継がれて行ったのだろう。

エイノのシチューは、そんなシーンが垣間見える深い味だった。

響きフェスティバルの時、エイノも日本に招待したい。

そう約束を交わし、エイノの家を後にした。

ふと、アイルランド、イニシュモア島のテリーを思い出す。

テリーに出会えて、僕は生き延びることが出来た。命の恩人であるのだ。

エイノとテリーが一緒にいるシーンを思い描いてみた。

ディレクターズ・ノート
サーミの日、国旗掲揚

【ディレクターズ・ノート:ノートと共に旅して】

現地時間 2017 12.28 22:50

「ディレクターズ・ノート」と称して、旅を書き始めたのは、第1章アボリジナル。最初からだ。

旅をリアルタイムで、みんなと共有出来ればと願い、書き綴って来た。

本来、ディレクターズ・ノートというのは、あくまでも、編集を意識して、ディレクターが、その時々に感じた世界観を忘れないように記録するもので、一般に公開はしない。

しかし、響きは「旅」そのものが「作品」であると位置づけ、公開を試みたのが始まりである。

僕は、脚本の世界にいた。

「脚本」とは、限りなく無駄を省き、状況を切り取って、描写する世界。

脚本は、映像ありき。

ゆえ、読む人がまるでその世界を「見る」かのように書く。

書くというより、描く、と言ったほうが良い。

脚本で学んだ世界観が、響きで生かされた。

旅で起きることを、描く。それが、響きのディレクターズ・ノートである。

それは、ともすれば、聞き手が映像を見る落語の世界観に近いかもしれない。

そして、響きは、ひとり旅。

つまり、ディレクターズ・ノートは、「自己との対話」に他ならない。

ノートと共に歩んで来た響き。

それは、僕の心、そのものである。

HIBIKI Color 赤:太陽 黄:月 白:宇宙 これらの色を合わせて「世界」を意味する。